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トリニダード・トバゴ戦(9日)で初陣を飾ったオシム日本。紛らわしいことに「田中姓」が3人いる。浦和のFW田中達也、横浜MのMF田中隼磨(はゆま)、そしてもうひとり、浦和のDF田中マルクス闘莉王だ。
 オシムによって初めて日本代表に招集された闘莉王は、ブラジル日系3世で03年に帰化するまでは「マルクス・トゥーリオ・ユウジ・ムルザニ・タナカ」が本名だった。
 闘莉王の祖父は11歳の時に広島から、祖母は6歳の時にブラジルに移住した。父は元理科教師で現在、弁護士事務所を開業。税務署勤務のブラジル人女性と結婚し、81年に闘莉王が生まれた。
「父親は44歳で一念発起して地元の名門大学の法学部に入学し、弁護士免許を取得した頑張り屋です。闘莉王は厳格な父親に厳しく育てられた」(マスコミ関係者)
 中学卒業後、「働かざる者、食うべからず」という父親の方針の下、夜間高校に進んで昼間は公認会計事務所で働いた。
「連日朝8時から夕方6時まで働き、それでも月給は2万円ほど。サッカーは土曜、日曜だけ。でも、ずっとプロを夢見ていた」(闘莉王)
 転機は16歳の時に訪れた。渋谷幕張高(千葉)がブラジルで入団テストを実施した。合格した闘莉王は学費免除、小遣い支給、個室完備の寮などの好条件で迎えられた。
 高校3年生で高校選手権に出場。卒業後にJ1の広島に入団した。3年目の03年、外国人選手枠の関係もあってJ2水戸にレンタル移籍。ここで「得点能力の高い身長185センチ、体重82キロの屈強DF」として評価をさらに高め、10月に日本に帰化して「日本代表」を目指すことになった。
 03年シーズン後のオフには浦和から移籍金1億円で引き抜かれ、年俸も3倍の3000万円に跳ね上がった。04年にはアテネ五輪にも出場。トントン拍子に出世した。
「しかし、日本代表とは無縁だった。ジーコ前代表監督は“足元の技術がおぼつかない。好みじゃない”と闘莉王を呼ぼうとせず、浦和のブッフバルト監督は“ジーコは見る目がない。高さ、強さを兼ね備え、ヘディングで得点能力も高い。日本代表に必要不可欠”とアピールしたが、結局はダメだった。本人もドイツW杯に出られず、かなりショックを受けていた」(専門誌記者)
 トリニダード・トバゴ戦では背番号4番で先発出場。完封勝利の立役者となり、16日のアジア杯予選イエメン戦にも、当然スタメン出場するだろう。
 アグレッシブなプレーも持ち味のひとつ。ミスを犯したチームメートを容赦なく怒鳴り倒すのも、オシム日本では日常的な光景となった。おとなしい選手が多い中、すでに存在感バッチリだ。(参考:ゲンダイネット)


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